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アーリントン墓地の風景

 前回の拙文の終り近くの、特に戦没者・殉国者の追悼・顕彰施設の問題について「お前は『国立追悼施設』案を認めるのか!」という批判があった(註:2006年当時)のでこれに答えておきたい。

 なるほど、確かに前回の私の文章を読む限りでは、靖国神社と(千鳥が淵墓苑を母体とした)国立追悼施設の両方を国家護持とし、国民はそれぞれ好きなほうへ参拝すれば良い、と主張している折衷妥協案のようにも見える。そしてその読解は、実は決して間違いではない(苦笑)。

 弁解はない。まぎれもなく前回私が唱えた「靖国・千鳥が淵双方国家護持」案は、神道信者であり且つ日本人でもある私が、他宗教の信者であり且つ日本人である方々へと提示した妥協の産物なのである。

 「愛国者ともあろう者がなんと弱気な!」こう嘆かれる読者諸兄もおられるかもしれない。しかしこのような妥協的な主張を私が行うのには、ちゃんとした理由があるのだ。

 アーリントン墓地。

 いまさら説明するまでもない、アメリカ合衆国のために亡くなった戦死者・殉国者たちを顕彰するアメリカの国立追悼施設である。何かの祭典のときに、この地をざっと一回りしてみよう。すると誰でも、次のような事に気がつくはずである。

 この地にある墓標は、当然のことながら十字架を彫りこんだものが圧倒的に多い。キリスト教国アメリカなのだから当たり前といえば当たり前だが、よくよく見ると、必ずしも十字架一色ではないことがすぐに分かるだろう。ある墓石には六芒星が、またある墓石にはなんと三日月型(イスラム教のシンボル!)が、という具合に、それぞれの戦死者が、それぞれの信じる宗教の教義に基づいた埋葬のされ方で眠っているのである。そして参拝する側も、当然のように戦死者の望む宗教の教義に従った形式で祈りをささげている。つまりこの地では、戦死者たちの信教の自由すらもが保障されているのだ!

 聞くところによると、アメリカに限らず欧米先進国ではどこでも、戦争に行く兵士たちに対し、自分が死んだ時にはどのような形式で埋葬されたいのかをあらかじめ聞いておくのが当たり前になっているという。

 考えてみれば、それも当然のことであろう。

 兵士たちは皆、国のために死にに行くのだ。せめて葬式の挙げ方くらい兵士たちの望みどおりにしてやらねば、国のために命を投げ出せなどと命令できるはずがない。国家による戦没者追悼の意義から考えてみても、その形式を、戦死者自身の希望に基づいて行うべきなのは国としてむしろ絶対の義務ではないか!

 現代の保守派文化人にカトリック信者が多いことや、戦前の国柱会などの例を見ても分かるとおり、神道信者ではない愛国者など世の中にはいくらでもいる。そんな彼らが国のために命を投げ出したとき、無理に彼らを靖国神社に祀ることが果たして本当に彼らの恩義に報いることになるのか、読者諸兄にはよくよく考えていただきたいのである。
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