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いっそ神道を国教とせよ!

 「なんて過激な!」

 今回のタイトルを見てそう思われた方もきっとおられるとは思うが。

 注意していただきたいのは、戦前日本の神道は決して「国教」ではなかった、という事実である。

 帝國政府の公式見解はあくまでも「神社非宗教論」であり、国家神道は「宗教ではない」からこそ明治憲法第二八条に何ら抵触することなく他宗教の者にも神社参拝を強制できたし、逆に神道側にとっても「宗教ではない」がゆえに神葬祭や布教活動を禁じられ、信仰心のカケラもない役人どもが「神主でござい。禰宜でござい」と神聖な御垣内を穢れた身で闊歩する屈辱に耐え忍ばなければならなかったのである。

 本気の神道信者である私にとって、そのような戦前的状況の再現は絶対に許せるものではない。

 したがって私の主張する「神道国教化論」とは、戦前の「神社非宗教論」とは全く対極に位置するものである。戦後サヨクの「政教分離論」が、結局は無神論を国家神道の地位に取って代わらせただけの偽アンチテーゼでしかなかったのに対し、この私の主張こそが、国家神道に対する真のアンチテーゼと言えよう。

 具体案はこうだ。まず第一章「総則」の中に次のような条文を設ける。

第十五条 日本国の国教は神道である。国の儀式および典礼ならびに公教育における宗教的素養の涵養は、全て神道の教義に基づいて行われる。
       ② 前項の規定は、国民および外国人に国教の信仰を強制し又は国教以外の宗教を抑圧するものと解釈してはならない。


 続いて第二章「国民および外国人の権利と義務」の中に次のような条文をおく。

第○○条 何人も信教および思想・信条・良心・学問の自由を侵されない。内心に属するこれらの自由は、いかなる制限も受けない。
       ② 国教以外の宗教を信仰する者は、国の儀式および典礼ならびに公教育における宗教的素養の涵養のために、自らが信じる宗教の教義をもって国教のそれに代えることが出来る。


 これなら神道を国教とし、大嘗祭をはじめとする全ての公的式典に神道の形式を用いようとも、参列者に対し他宗教の形式による代替礼拝の自由を許す限りにおいて「信教の自由」を侵したことにはならないだろう。

 戦没者や殉国者に対する追悼・顕彰行為についても同じ。国教である神道信者は靖国神社へ、その他の宗教の信者は千鳥が淵墓苑へと住み分けた上で両方を国家護持とすれば良いではないか。読者諸兄の中には「靖国神社の拝殿前に全国民の意思が結集できないのでは、国で殉国者を祭る意味がない」と主張される向きもあるかもしれないが、本気の神道信者である私のような者にとっては、信仰心のない連中に神聖な境内に入ってこられ、心にもない無理な礼拝をされても迷惑なだけである。

(続く)
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