無神論が国家神道に取って代わった!
試しに、公民館でも地域集会所でもいい。そこらへんの公的施設に行き「法華経(または聖書)の勉強会を開きたいから会場を貸して欲しい」と頼んでみよう。まず間違いなく「宗教活動のためには、当施設をお貸しすることはできません」と断られるだろう。「宗教活動ではない。あくまでも古典の学術研究会なんだ」と言い張っても無駄。ほんのわずかでも宗教性を感じさせる活動には、断固として使用を拒否するのがこうした公的施設の一般的な態度なのである。
一方、その同じ施設に「マルクス(またはニーチェ)の勉強会を開きたいから会場を貸して欲しい」と頼んでみよう。まず間違いなく、何の抵抗もなくあっさり許可されることだろう。つまり現代の日本においては、無神論だけが特別扱いされているのである!
宗教は人を殺す。無神論はもっと多くの人を殺す!の回でも述べたとおり、無神論とは本来「神が存在しないことを信じる」無神教徒の教義であり、つまりは無神論というのもまた、宗教の一種なのである(事実、無神論思想の源流は中世ヨーロッパのキリスト教大学にあるとされ〈!〉、キリスト教の神学部には今も堂々と「無神論学科」が存在している〈!!〉)。
にもかかわらず、日本人の宗教的無知につけ込み「現代日本は『政教分離』なのだから、いかなる宗教も公的場所に近づけてはならない」と言いながら、無神論だけは「宗教ではない(そんなこと思いもつかない)」から平気で政治の場に持ち込み、しかもそのことを誰も疑問に思わないのである。これって何かに似ていないだろうか?
そう!
戦前における国家神道の位置に、戦後は無神論が居座ってしまっているのである!
奴ら反日左翼が『政教分離』を決して手放さない本当の理由は、ひょっとしたらこの辺にあるのではないだろうか。だとしたら我々も、この原則そのものを見直さなければならないのではないか。
(続く)
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