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『政教分離』本来の目的とは?

 それにしても、と思う。

 「戦前の国家神道体制を二度と復活させない」ためにこそ『政教分離』は、特に神道に対して厳格に適用されなければならない、とする反日左翼の主張の奇妙さは、ちょっと変じゃない?および「政教分離」で「非宗教」を排除?にも書いたとおり。

 「国家神道は宗教ではない」のだから、いくら政教分離を厳格に推し進めたとしても、国家神道を政治の場から排除する理由としては成り立たない)に対し、保守派陣営のみならず、当の左翼までもがあまりに無頓着なのは一体どうしたわけであろうか。

 「奴らが馬鹿だからさ」

 その一言で片付けてしまえるなら話は楽だし、事実反日左翼の大半はそうであろう。

 しかしかつての日本社会党が唱えた「非武装中立論」が、実はソ連に日本を占領させるための深慮遠謀だった(石橋政嗣著『非武装中立論』参照。最近大塚英志が明石書店より復刻させている)ことでも分かるとおり、少数の頭の良い真性反日分子が、別の目的のために裏で糸を引いている可能性も否定できない。

 そこでもう一度考え直してみたいのが、そもそも『政教分離』の本家本元である欧米では、一体どのような意図をもってこうした原則が導入されたのか、である。

 まず日本にこの原則を押し付けた当の本人であるアメリカについて。

 アメリカ政界におけるキリスト教原理主義の跋扈を見ても分かるとおり、アメリカは元々極めて宗教的雰囲気の強い社会である。現代でも有権者は、政治家に対し、何よりもまず敬虔なクリスチャンであることを要求する。そして政治家は、そのことをパフォーマンスであれ実践して見せなければ、選挙での当選はまず覚束ないというのが実情なのである。

 それなのに。

 そうして選ばれた「信心深い」政治家が、いざ政治の場において自らの宗教的信念を実行しようとすると、途端に「政教分離に反する!」と轟々たる非難が有権者の間から巻き起こってくるである。アメリカ人の、この一見矛盾しているように見える行動パターンの奥には、一体どんな論理が潜んでいるのであろうか。

 知ってのとおり、そもそもアメリカの歴史は、本国イギリスで「異端」として宗教弾圧を受けたピルグリムファーザーズら清教徒が「弾圧のない、信教の自由を謳歌できる新天地」を目指して移民してきたのが始まりである。そしてメイフラワー号の船内において、イギリス国教徒である船員と、清教徒である乗客との間で交わされた『メイフラワー協約』(要するに「キリスト教徒同士が互いに争うのを止めましょう」という約束)こそが、アメリカにおける政教分離原則の始まりだとされている。

 つまりアメリカにおける『政教分離』とは、あくまでも「自らの信仰を自由に実践出来るようにするために『信仰を抑圧し、又は他の信仰を押し付ける』存在である政府権力から我が信仰を守るために作られた」いわば信仰擁護のための原則なのである。

 そこには「人間=先天的に信仰を求める者」「権力=その信仰を妨害する者」という人間観・権力観が明確に存在する。そして『政教分離』原則により自由な宗教活動が保障されることにより(自由な経済活動と同じ様に)個人の宗教活動が、ますます発展することが期待されているのである。つまりアメリカの『政教分離』とは、むしろ宗教活動を促進させるために存在する、と言っても過言ではないのである。

(続く)
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