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税金払えば参政権?

 ではそのような「国家を維持し、自らの生命・財産・権利を守るために必要なコストをも敢えて引き受ける」覚悟を持った「主権者としての責任感ある」国民像と、前述した「納税拒否野郎」のごときエゴイスティックな現実の国民との間にあるギャップを、我々は一体どう処理すべきなのか。

 その前に、権利と義務との関係について、もう少し詳しく調べてみよう。

 「在日外国人も日本国民と同じ条件で納税の義務を果たしているのだから、当然に参政権も与えられるべきだ」

 反日左翼がよく口にするこの主張の背後には、「代表なくして課税なし」というボストン・ティーパーティー(アメリカ独立革命勃発のきっかけとなった事件)のスローガンが生きていることは、ほぼ疑問の余地のないところである。

 だがこのスローガン、歴史的に見て、本当に正しい主張と言えるのだろうか?

 世界全人類の歴史を概観しても、およそ庶民・平民・自由民と呼ばれる人々で、納税の義務を課せられなかった時代・国家などただの一つも存在しない。しかし当然のことながら、いわゆる専制国家・封建国家と呼ばれる政治体制下では、彼ら庶民に参政権が与えられることなど考えられないだろう。

 つまり「代表なくして課税」のある国家など、歴史的にはいくらでも存在するのであり「納税の義務」と「参政権」との間には、本来なんの相関関係も存在しないのである。庶民が「納税の義務」を果たすことによって得られる権利などせいぜい自由権、それも「言論の自由」のような積極的自由権ではなく、たかが「身体の自由」のような、消極的自由権ぐらいにすぎないのではないか。

 ある老人(この人はノンポリ)が、以前私に話してくれたことがある。

 「戦前の日本では、全て臣民は納税の義務を負う代わりに自由権を得、兵役の義務を負う代わりに参政権を得るという具合に、権利と義務の相関関係がはっきりしていた」と。

 実はこの言葉に、国民の『権利』と『義務』の相関関係の秘密を解く、極めて重大なヒントが隠されているのである

(この項続く)。

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