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江戸時代に逆戻りした戦後日本人

 そもそも明治維新以来、「文明開化」やら「富国強兵」やらのスローガンの元、一貫して時の政府が心を砕き続けてきたのは、「江戸時代の、あの羊のように従順だった農民や町人を、いかにして優秀な兵士に育て上げるか」だった。

 外敵のいない江戸時代なら、民衆なんてものは臆病かつ従順であればあるほど、権力にとって都合がいいに決まっている。だが、帝国主義列強が覇を競う弱肉強食の時代となると、そうはいかなくなってくる。

 他国との生き残り戦争に勝つためには少しでも多くの兵士が必要だし、その兵士は民衆から徴発するしかない。しかしその臆病さと無力感ゆえに、強者の言うことならなんでもかんでも恐れおののいて従うような「羊の民」ほど、兵士として役立たずなものはないのだ。

 ここに、全ての近代国家が直面するジレンマがある。

 国家の軍隊を強化するためには、まず民衆を「死をも恐れぬ勇敢な戦士」に鍛え上げることがどうしても必要なのだが、同時にそうして誕生した「戦士の民」は、もはや到底、かつてのような「従順な羊」に留まってはいてくれないというジレンマが。

 「戦士となった」ことは、すなわち「力と誇りを得た」ことであり、その力と誇りにふさわしい名誉や権利を、当然のように彼らは要求し始めるだろう。そしてそれが受け入れられなかったとき、まさに彼らは、その「死をも恐れぬ勇敢さ」でもって権力への反逆を開始する。すなわち「革命」だ。

 近代国家の「強大な軍隊」とは、だから権力にとっては、常に諸刃の剣なのである。

 明治政府は、こうした日本民衆の「勇士化」改造に、ひとまずは成功したといっても良いだろう。そして日本兵のあまりの勇敢さに恐れおののいたアメリカは、戦後この「勇士化」した日本民衆の牙を抜くことに全力を傾けた。すなわち「ウォー・ギルト・インフォメーション」による戦争そのものへの罪悪感の刷り込みであり、軍隊の存在価値そのものを全面否定する現行憲法の押し付けであり、日教組による徹底した反戦平和教育(=みんな仲良く! 争いはやめよう! いかなるときにも暴力は絶対ダメ!)だ。

 このアメリカによる「日本人再羊化」計画もまた、当人たちの思惑すらも超えて大成功したと言えるだろう。あるいは「成功し過ぎた」と言ってもいいかもしれない。

 おかげで日本人は、いまや世界で最も「平和的」な民族になってしまった。何しろいかなる理由があろうと「暴力や争いは絶対ダメ!」なのである。たとえ政府権力がどんなに酷い、デタラメな悪政を敷こうと「争い」や「暴力沙汰」の元になりかねない「権力への異議申し立て」など、できるわけが無い(嘲笑)。

 なんの事はない。戦後六十年かけて左翼が一生懸命続けてきた「反戦平和思想」の啓蒙とは、結局のところ、明治維新以来八十年かけて「戦士の民」へと改造されてきた日本人の精神構造を、また江戸時代の「羊の民」へと逆戻りさせる結果をしかもたらさなかったのだ!(大爆笑)

 宮崎学は言う。

 「もう一つ問題なのは、アメリカの侵略もいけませんがテロもいけません。両方とも暴力をやめましょう、というアホな意見が良心的だと思われていること(中略)抵抗には暴力が含まれる。暴力のない抵抗は抵抗じゃない」

 辺見庸も似たことを言っている。

 「非暴力と反戦がつながっている? 冗談じゃない。反戦は反戦的暴力がないとやれないんだよ」

 言ってること自体は全く同感だが「だったら改憲に賛成しろよ」と私はこの二人に言いたい。

 まさにこうした「抵抗」や「反戦」のための暴力を行う意志や能力すらも戦後日本人から奪い去ってきたのが、現行憲法の「絶対平和主義」なのだから。

(続く) 
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