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 権力を拘束する「資格」

 件のインタビュー記事を読む限りでは、いろいろ細かいことも語られてはいるが、要約すればその焦点は一つ。

 「『憲法とは、統治権力に対する国民からの命令(禁止)であってその逆ではない』という、憲法学上の一番基本的な常識を、今の二世・三世政治家どもは全くといっていいほど理解していない。いやむしろ、確信犯的に理解することを拒絶している」という点への苛立ちに尽きるようだ。

 かの「憲法九条の会」を始め、最近ますますヒステリックな金切り声が大きくなっていると思われる護憲派の言動のなかでも、最も頻繁にみられるのが実はこの論理である。

 「そもそも憲法とは権力を縛るためにあるものだ!  憲法の条文に拘束されるのは公権力だけなのに、そこに『国民の行為規範』を書き込もうなど、トンチンカンも甚だしい!」というわけだ。

 そこで読者諸兄には、この連載の一番最初のほうに戻って読み直して欲しい。

 この「憲法は統治権力に対する国民からの命令(禁止)」という基本原則に対して私が示した根本的な疑問「ただの一度も暴力革命に成功したことのない日本国民がいくら命令したところで、『リバイアサン』たる近代国家権力が聞く耳など持つはずがないではないか? 前述の基本原則に従っている限り、日本では憲法などいくら作ったり押し付けたりしたところで、実効性のないただの文字の羅列にしか過ぎなくなるのではないか?」というあたりの所を、である。

 実は無意識的にせよ、一般国民の中にも、この我々が抱いたのと同じような疑問が潜在しているのではないだろうか。

 「いくら学校の先生やマスコミに『主権者は君たち国民だ! 憲法は国民から国家権力への命令だ!』と持ち上げられてもなあ。主権者たるにふさわしい実績(例えば暴力革命の勝利)など俺達には何もないし……こんな自分が『主権者』だなんて分不相応だしおこがましいよ」てな具合に。

 残念ながら小林教授や、その他の護憲派の書いた文章をいくら渉猟してみても、この我々の疑問に対する回答はなかった。
そこで今度は視点を変えて、別人物の発言を見てみたい。

 教授と同じように、最近になって急に「転向」したと世間から見られている人物、それも教授とは全く逆に、「左」だと思われていたのが突然「改憲賛成!」とはっきり叫び始めた人物の発言である。

 次回はその、これまでも度々この連載でも名前の挙がった社会学者・宮台真司東京都立大学助教授(当時)の発言について思うところを述べてみたい。

(続く) 
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