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日本はサムライの賜物

 一八五七年、時の老中、堀田正睦が、その後の幕府の外交方針について、次のような意味の覚書を残している。

 「わが国の政策として、(諸外国とは)友好的な同盟関係を結ぶべきだと私は確信している。多くの国々に船を送って交易を求め、外国人が最も得意とするところを模倣し、自分たちの欠点を正し、国力を育み、武力を装備する。そうすることによって『少しずつ』外国人をわが国の影響下におき、最後にはすべての国家が完全なる安定のありがたみを認識し、われわれの主導権は世界に知れわたることになるだろう」

 知っての通り、こうした幕府の考え方は、当時の尊皇攘夷派によって徹底的な攻撃を受けることになる。が、結局はその幕府を倒した薩長新政府もまた、この開国路線を引き継がざるを得ず、しかも事実、それによって明治維新が成功してしまったのだから、当時の武士たちの慧眼たるや、やはり一目おく能わざるを得ないものがあるだろう。

 当時、こうした西洋近代諸国の圧倒的な武力(又はそれをも含んだ「文明力」総体)に直面した非西洋諸国のなかで、このような「現実的」対応を取ることが出来た国は、実は日本以外になかった。

 他の諸国、それも中国やインド・アラブのような、過去に偉大な文明圏を築き上げた実績のある国ほど、自前の道徳や哲学・美的価値に固執し「敵がどんなに邪悪だからといって『正義(である我々)は最後に必ず勝つ』とは限らない。桁外れに圧倒的な武力の前には、どんなに高度な哲学や宗教・道徳・倫理・美学も、なんの役にも立たない」というミもフタもない事実を、直視することがどうしてもできなかったのだ。そのあげくが西洋諸国の「植民地化」である

 日本の侍だけが、その残酷な現実を直視することができた。長い太平の中に眠り続けていたとはいえ、戦国時代以来の「いくさ人」的現実主義を心の中に生かし続けてきた侍たちは、「まず戦争に勝てなければ、どんな価値観も痴人のタワ言にすぎない」ことを、腹の底から理解していたのだ。

まさしく「エジプトはナイルの賜物。日本はサムライの賜物」である。

(続く)
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