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『近代』という名のパワー

 よく「日本人は、未だに近代人になっていない」という批判が(左翼だけではなく最近は保守派の一部からも)聞かれる。「日本社会は、外見上は近代的だが、その内実は、いまだに封建的遺制を数多く残したままの未開社会である(→だから一刻も早く、日本人も日本社会も近代化しなければならない)」とも。

 だがそもそも、なぜそんなに何がなんでも日本人や日本社会が近代化しなければいけないのだろうか? 

 欧米産の近代的な文明や思考様式を日本社会に持ち込むことは、日本の伝統的な文化や価値観、美意識を破壊することにつながるのではないか?

 愛国者なら、誰もが一度は抱かずにはいられない、これは当然の疑問であろう。

 だが(残念ながら、と言うべきだろうか)この疑問については、とっくの昔に結論が出ている。

 「日本の伝統的な文化や価値観、美意識を今後も保持するためにこそ日本は何がなんでも近代化しなければならないのであり、そのための変革こそが『明治維新』だったのだ」と。

 そもそも、欧米人のいう『近代』とは一体なんなのだろうか?

 これについて詳述し始めると、それこそ大部の書一冊丸々かけても足りない程の一大文明論になってしまうので、ここではメチャクチャ簡単に概略化するしかないのだが、一言でいえば、「あらゆる一切の因習や迷信・独断・偏見・先入観の類を排し、全ての物事を目的合理的(特に形式合理的)に判断し決定し追求する思考および行動様式」ということであり、渡部昇一の言葉を借りれば「ファウスト的精神」ということになろう。

 そう。『近代』とは、物事の極限を追及する(できる)思考および行動様式のことなのである。

 政治の世界においては「権力」の極限を追求し、軍事の世界においては「武力」の極限を追求し、科学の世界においては「真理」の極限を追究し、経済の世界においては「金儲け」の極限を追求する……。

 そんな思考および行動様式が、人々の社会や生活の隅々にまで浸透してしまったら、一体どういうことが起こり得るか。『宗教改革』から『産業革命』に至るまでの、欧米社会の一連の大変動を見るにつけても、思い半ばに過ぎるであろう。

 そんな『近代』的思考・行動様式によって培われた圧倒的に強大な政治力・軍事力・経済力・文化力に、日本人がいきなり直面させられたのが、かの『黒船来航』だったのだ。

 当時の日本人の「立ちすくみ」っぷりたるや、到底現代の比ではなかっただろうことは容易に想像がつく。

 だけど彼らは、そこで「無気力状態」になどならなかった。

 その時彼らが選んだ道は、現代の我々から見ても、身震いするほど驚くべき方法だったのだ!

(続く)。
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