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主権論は悪魔の思想?

 話がそれ過ぎてしまった。

 私がこの本を取り上げた理由は、なにもこんな書評を延々と書き続けたかったからではない。これまでの私の連載の内容を全面否定するような「主権否定論」が、この本のなかで展開されていたという、その一点にあるのである。

 「『国民主権』は暴政・革命に至る……主権がどこにあるかと問われるなら、どこにもない……(イギリスの)臣下のなかには国王に阿諛すべく、『国王主権』を言い出すものは少なくなかった……『国王主権』論を断固排撃した」

 ハンナ・アーレントやハイエクの説までも縦横に引用した中川のこの説を見たとき、私は4年前の本紙(注:この場は2004年頃)の講演会レポートを思い出さずにはいられなかった。

 この時講師を務められたのは、あの長谷川三千子・埼玉大学教授である。

 教授は、当時の会員が、本紙のその一つ前の号に掲載していた国体と民主主義に関する言説と関連して、主権について次のように述べておられる。

 「……フランス革命の中心理念というものが、こうした(六十万人もの)大殺戮を引き起こしているということです。この中心理念は何かというと、国民主権という概念なのです……」

 「……いつも話の中心になっているのは、誰が権力を持つか、ということなのです。そういう権力争いとして、フランス革命というものがあった。そうすると、最高の力を誰が持つのかということで、国民の間に血なまぐさい争いが起こらざるを得ないわけです……」

 そしてそういう発想は「……例えば五箇条の御誓文の第二条にあります『上下心ヲ一ニシテ盛ンニ経綸ヲ行フヘシ』という言葉にあらわれているような」上も下も、ともに力を合わせて国を盛り立てていこうとする日本の国体には合わない、つまり和の国・日本では「誰が最高の力を持つのか」を問題とする「主権論」のような考え方は、本来なじまないものだと述べられておられる。

 確かにそのとおりだな、とも思う。

 そもそも「主権」などという考え方自体「唯一絶対神」を信仰するキリスト教社会ならではの発想であると言える。また「国民」であれ「国王」であれ、神ならざる身にそのような無制限の権力を付与してしまったのでは、どこまで増長し暴走するか分かったものではない、というのもその通りだと思うし、「だから多神教の日本では、そのような欧米の悪いところを真似するべきではない」という主張も、気持ちとしてはもの凄くよく分かるのだ。

 しかし、である。

 「だから日本の憲法では、主権思想は排除すべきである」と単純に断定されると、それもまた違う、と反論せずにはいられない。
 なぜか。

 次号ではその「近代と主権」に関する問題を、明治維新にまで遡って考えてみたい。

 (続く) 
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