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読者(2004年当時の本論文掲載紙)からのご批判に答える2

 さて、前文私案の続きであるが、第二段落以降はとくにどうという内容はない。「平和」だの「基本的人権」だのといった語句をわざわざ入れることで、現行憲法との連続性をアリバイしてみたくらいで、その他のところは、どの国の憲法前文でも普通に規定されているような、単なる憲法目的の規定にすぎない(実は最終段落の文章に一箇所、ものすごい仕掛けを施してあるのだが、それを今ここで書くわけにはいかない)。

 それよりも、ちょっとここで断っておかなければならないことがある。
 前々回、私が「憲法前文はできるだけ短く、簡潔なものがよい。国の理想だの歴史的経緯だのをダラダラと書き連ねた前文など、旧社会主義諸国の悪しき慣習でしかない」と書いたところ、読者(注:2004年当時の本論文掲載紙の)から次のようなご批判をいただいた。

 「5回前でお前は、憲法前文に盛り込むべき内容として『日本国の歴史的起源』だの『国家の存在意義とその目指すべき理想像』だのを挙げていたじゃないか。たった一ヶ月で、言ってることが百八十度違ってしまっているぞ!」

 いや申し訳ない。

 種明かしをすると、今私の手元には、四年ほど前(注:この場合は2000年頃)に私が独力で書き上げた、全十七章・二百ヵ条からなる「貫通信作・憲法改正私案」全文がある。

 今回の連載も、当初はこの私の改憲案に従って逐条的に改正案を提議していくつもりだったのだが、いきなりやっかいな問題につまずいた。

 実はこの改憲案、「天皇主権説」に基づいて書いたものだったために、前文が無いのである(苦笑)!

 かわりにこの改憲案には、「第一章・総則(または基本原則)」という条項があり、国の理想とか歴史的経緯とかは、全てこの章のなかに、書いてしまっていたのだ。

 だから今回、小林節流「合法改憲論」に基づいて、急遽前文を書き下ろさねばならなくなったとき、この「総則」と前文との関係をどうするか、十分に考えがまとまらないうちに5回前の文章を書いてしまったために、このような矛盾した内容になってしまった次第である。

 混乱させてしまった読者諸兄にお詫びするとともに、前々回の前文私案こそが私の最終的な考えであることを改めて強調しておきたい。

 次回は中川八洋・筑波大学教授が近著『国民の憲法改正』(ビジネス社:2004年当時)で打ち出した「国家主権」思想そのものに対する批判に対し、私なりの考えを述べてみたい。

(続く) 
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