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官僚=戦後日本の主人!

 そもそも「天皇の官僚」という意識を持つ者が、そうそうたやすく堕落などできるものではない。何か不祥事でも起こそうものなら、それはそっくりそのまま主君である天皇陛下の恥になってしまうのだから、そんな不忠なマネが簡単に犯せるわけがないのだ。

 だがそんな「天皇の官僚」意識も、戦後世代への交代が進むに連れて、次第に彼らの中から消え失せていった。そして何度も書いてきたとおり、この国では「国民主権」など絶対に実現不可能である以上(どこの世界に、自力で暴力革命ひとつ成功させられないようなヘタレ国民の下僕に、進んでなりたがるお人好しがいるよ〈嘲〉)、戦後空位となったこの国の主権者の地位に、いつの間にか主人面して納まってしまっていたのが、他ならぬ彼ら、腐敗官僚どもだったのだ!

 「天皇の官僚」ならば、まだ「天皇陛下のご意向」という最後の手段によって、彼らに対し睨みを効かせることもできる。だが官僚自身が国家の主人となってしまえば、もはや誰も彼らの横暴を抑えることが出来なくなってしまう。そしていくら「法人=法律上の仮想の人格」といえど、実際にその機構を動かしているのは、彼ら官僚たちなのだ。

 「法人主権説」とは、そんな彼ら腐敗官僚どもを事実上「国家の主人」として追認してしまいかねない、まさに最悪の学説なのである。

 とはいえ、戦前は弾圧された「天皇機関説」を元ネタにしているだけにこの「法人主権説」、その見かけ上の口当たりの良さが、保守穏健派の間では、なかなか好評なようである。このままでは、この最悪の学説が、新憲法の主権説として採用されてしまいかねない。なんとかこれを阻止する方法はないものだろうか……

 そう案じていたところへ、先月(注:2004年当時)の講演会である。

 講師の小林節先生(この当時小林節は、まだ改憲派バリバリの保守派憲法学者と見られていた)は、「新憲法の主権について先生はどう考えておられるのか」という私の質問に対し、「主権は、民族の主体としての国民にある」という新しい考え方を示された。

 現行憲法の「国民主権説」と区別するために、私はこれを新たに「民族主権説」とでも呼びたいと思うが、果たしてこれは、「法人主権説」に対抗しうる、有力な学説となりえるだろうか。次回はそのあたりを検証してみたいと思う。

(続く)
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