※ この記事は平成17年(キリスト歴2005年)に発生した福知山線脱線事故(死者107人、負傷者562人)を受けて書かれたものです。古い事故ではありますが、これにより露呈された
鉄道産業の諸問題は未だ解決には程遠い状態であることもあり、あえてここに再掲いたします。
鉄道を見捨ててはならない
アメリカと違い、EUではすでに、
鉄道の持つ公共性の高さが見直され、様々な支援策が講じられている。
ミラノやフィレンツェといった観光都市では、市街地への自動車の侵入が全面的に禁じられ、代わりにLRT(新世代路面電車)が
公共交通の中心になっているというし、またほとんどのEU諸国では、いわゆる『上下分離方式』により、線路や駅などの地上施設の管理は、国などの公的機関が行い、民営の
鉄道会社は、車両の管理と経営面だけを行うようになっている。
バスや飛行機との競争の公平化という観点からも、このような
鉄道運営の『上下分離方式』は、日本でも是非導入すべきだと思うし、もしそれが財政上どうしても不可能だというのなら、せめてエネルギー効率や二酸化炭素排気量に税率を比例させた『環境税』を新設し、バスや飛行機の運賃、さらにはガソリンやディーゼルの料金、高速道路の通行料などに至るまで片っ端から課税し、料金面から鉄道と他の交通機関との競争条件の公平化を図るべきであろう。
そうでもしない限り、このままでは鉄道各社の業務内容は、ますます悪化する一方である。
今回の事故の主原因とされるJR西日本の『利益第一主義』体質も、こんな不利な競争条件のままでは克服したくてもできまい。無駄な空港や高速道路の建設を止められないなら、国土の破壊は、ますます進む一方となるであろう。
明治5年(キリスト歴1872年)、新橋―横浜間に、わが国最初の鉄道が明治天皇陛下ご臨席の元に開業して以来、日本の近代は、常に鉄道によって支えられてきたと言っても過言ではないところがある。
近代資本主義を勃興させるために必要な国民の資質として、マックス・ウェーバーは『勤勉』『節約』『正直』『清潔』『時間厳守』『契約絶対』などの諸条件を挙げているが、前の4項目はともかく、『時間厳守』の観念など、明治維新前の日本人は、実は一切持っていなかったという(なにせ不定時法を使っていたくらいだ)。
それがなぜ今日では、世界で最も時間にうるさい民族と言われるまでになってしまったのか。はっきりした理由は分かっていないが、有力な仮説として『鉄道の賜物』説というのがある。
つまり日本人の職人的な性質として、あまりにも律儀に鉄道技術(ダイヤグラムなどの時間調整術も含めて)を取り入れてしまったために、日本の鉄道は、本国のイギリスでさえ実現できないような、超正確な定刻運転をするようになってしまったというのだ。そして一般の国民も、そうした鉄道の運行に自分の予定を合わせているうちに、いつの間にか、時間厳守の性質が身についてしまったらしいのである。
この説が本当かどうかは分からない。
だが日本が近代化を進めるにあたり、他国と比較してもなお、鉄道が極めて大きな貢献を果たしたことは紛れも無い事実である。それは日本の職人技術の集大成となり、「世界一時間に正確」という民族の新資質となり、ついには『新幹線』という、世界交通技術の奇跡をも生み出すに至った。
鉄道技術の生まれは外国でも、その真髄は、いまや日本にあると言っても過言ではないのだ。
こういう鉄道受難の時代だからこそ、私はあえて声を大にして言いたい!
鉄道がわが国近代の発展に尽くしてきた功績を、日本人は決して忘れ去ってはならないのだと!
そしてその鉄道技術に込められた、日本民族の真髄もまた、決して失ってはならないのだと!
(文責:鉄ヲタ君)
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