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戦後60年目の『靖国問題』(その3)

※ この記事は、平成17年(キリスト歴2005年)に某政治紙に掲載されたものです。何分古い文章ではありますが、文中の「小泉総理」のところを「安倍総理」に変えただけで十分に現在でも通用する内容だと思い、ここに再掲いたします。
 

「『追悼』ではなく『顕彰』?それがどうした」


高橋哲哉

 「『週刊金曜日』などにもしょっちゅう顔を出してるあの高橋哲哉が書いた本」と書けば、それだけでこの本が、靖国神社に対してのようなスタンスを取っているか一目瞭然であろう。そして「そんな反日サヨクの書いた本なんかが、今時珍しくもベストセラーになってしまった!」ということこそ、この本が世間に大きな話題を提供している大きな理由の、どやら一つであるらしい。

 事実私が見つけた限りでも、この一ヶ月ほどの間に『週刊金曜日』では編集者が、『ダ・カーポ』では魚住昭が、『サピオ』では井沢元彦が、そして『正論』では佐藤優氏と長谷川三千子先生が、次々とこの本について、書評めいたことを書いている(もちろん前二者が礼賛、後三者が批判である)。

 このことから考えても、この本(の売れ行き)が左右両業界に与えたインパクトは、結構大きなものがあったと見て間違いないだろうと思われる。

 さて、この『靖国問題』に対する私自身の感想であるが、結論から言えば『正論』平成17年9月号掲載の佐藤優論文「とても同意できない高橋哲哉著『靖国問題』の罠」にほぼ同感、と言って良いであろう。

 高橋哲哉は書く。 靖国神社とは「残された者が死者を『追って』『悼む』こと、後から哀悼すること」すなわち『追悼』(=悲哀の感情のなかで痛みをともにすること)するための施設ではなく、あくまでも「戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続くべき模範とすること」すなわち『顕彰』(=戦死者に最高至上の名誉を与えることによって、遺族の悲しみを喜びに変え且つ後世の鑑とすること)するための施設であると。

 そしてその目的は、「戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになる」ことにあると。

 この文章に触れたときの私の感想はこうである。

 「当ったり前じゃんそんな事。それのどこが『問題』なんだよ?」

 およそ国家が「国民の生命および財産・人権を守る」という基本的役割を果たすためには、どうしたってその内部に暴力装置を持たざるを得ない。理性的な話し合いの一切通じないナラズ者は常に存在し続けるし、複数の人間が共同生活を送る以上、紛争は常に発生し続けるのだから(そしてこれは保守右派オヤジどもは絶対に口にしないことだが、国家権力自身が悪の権化に成り下がってしまった場合にも、究極的には暴力〈革命〉による国家への強制力の発動以外に、その悪徳行為を止めさせる手段はないのである。武力は「国を守る側」だけではなく、「国(権力)を倒す側」にも必要なのだ)。

 まさに国家とは「国民の生命および財産・人権を守る」ための公共財なのであり、その公共財を維持活動させるために絶対必要不可欠なコストこそが「納税」と「兵役」の二大義務なのである。

 とはいうものの、「納税の義務」とは違い「兵役の義務」の場合、個々の国民が背負う負担感には、どうしても大きな違いが出てこざるを得ない。

 国民のなかには、平和な時代に生きられる者もいれば戦争の時代に生きなければならない者もいる。戦争の時代に生きる者のなかにも、兵隊に取られる者もいれば取られずに済む者もいるし、兵隊に行った者のなかにも、後方の安全地帯に配属される者もいれば危険な最前線に出動させられる者もいる。最前線に出た者の中にも、生きて無事に帰ってこれる者もいれば戦場に斃れる者もいるのだ。

 こうした個々の国民間の負担の不公平を、国家はどう補っていけばいいのか。中でも特に最悪の貧乏くじを引かされた者=戦死者の犠牲に対し、生き残った者はどう贖いをすればいいのか。 全ての答えが、この『顕彰』という言葉に込められていると言っても言いすぎではないであろう。(続く) 

(文責:オカルト君)


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このエントリーのタグ: 靖国神社 高橋哲哉
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