喪われた冬至祭
実は日本に
クリスマスが定着したのは、戦後になってからではない。
新聞などの記録によると、すでに明治の末期には、都市部の中産階級のあいだで、
クリスマスは相当に定着した行事になっていたらしい。
「
クリスマスで町が賑わっている(中略)僕は昔森鴎外の即興詩人を読み、大学生や知識階級の人々が、市民に伍して宴会するベニスの謝肉祭を羨望した(中略)然るに今日の日本には、そうした国民的祭日がないのである(中略)サラリーマン等が
クリスマスに浮かれるのは、彼らの『失われた祭日』を回復する為の郷愁であり……」
これは昭和11年(キリスト歴1936年)の東京朝日新聞に載った、萩原朔太郎のコメントである。
さらにその前、大正7年(キリスト歴1918年)には、森鴎外が知人に宛てた手紙のなかで「元来、
クリスマスハ基督教ノ興ルニ先ダチ、ゲルマニア人ノ行ヒシJul(ユール)祭ニシテ、
冬至ヲ期トセシモノニ有之、基督教徒ガソレヲ我物顔ニ用シハ、仏教徒ノ本地垂迹説ニ似タル手段ニ過ギズ」と記している。
そうなのだ。
太古人類にとって、
冬至祭は、全世界共通の祭りだったのだ。
各民族ごとにやり方の違いはあったにせよ、1年でこの日だけは、世界中の人々が一致して「再生と豊穣の祈り」を、それぞれの神々に捧げていたのだ。
つまり日本人にとってクリスマスとは、かつてはあったはずの、民族にとっての「喪われた
冬至祭」の代償行為だというのが森と萩原の考えのようである。
だが二人とも見落としていることがある。
そもそも日本人にとっての「喪われた
冬至祭」とは一体なんだったのか?
(この記事続く)
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