記事一覧

 我々「保守左派」の取るべき姿勢

 このことは同時に、大塚英志の唱える『憲法原理主義』(占領下だろうとなんだろうと、形式的な手続きをきちんと踏んで改正した以上、現行憲法は有効だ、とする立場)を否定するもう一つの根拠にもなりえよう。たとえ占領下でなくとも、憲法の基本的原理を歪める改正など許されるはずがないのだから。

 もし向こうが宮澤俊義の『八月革命説』あたりを持ち出してきて、あくまでも「現行憲法は有効だ」と言い張るのならそれこそこちらの思うツボ。「形式さえ踏めば」憲法の基本的原理なんかどうでもいい事を現行憲法の制定過程それ自体が証明していることになるのだから、今度だって第九六条に定められた「形式さえ踏めば」どんな内容の憲法を作ろうと全くかまわないはずだろう。もしそのことで護憲派がゴチャゴチャ言うのなら「新たな『○月革命』が起こっただけですから」とでも嘯いてやれば済む。なにも後ろめたいことなんかない。因果応報というものだ。

 というわけで、前々回までに私が述べたことについて、少し補足しておきたい。

 私は、以前このブログで改憲派を4種類に分類している(「改憲」か「破棄」か「失効」か「無効」かの項を参照のこと)。しかし現実的には、今の日本で武力革命など起こすわけにもいかない以上、実際の行動においては①「第九六条の規定に基づく合法的改憲」か、②「衆議院での出席議員の過半数による『憲法破棄宣言』の議決(石原慎太郎案)」かの二種類くらいしか選択肢はない。そこで我々の取るべき行動だが……現時点でははっきりさせないほうが良い。

 いや、それは勿論、私の本音からすれば②案のほうがより望ましいに決まっているのだ。しかしちょっと考えてみれば分かるように、このやり方はあまりにもリスクが高すぎる。これをやるためには、よっぽど強力な国民的支持が必要だが、それをここ数年のうちに作り上げるほどの力が、今の我々にある、と断言できるか?

 今回、私が言いたかったのはこの事である。「現行憲法否定」という最大目的を果たすために、たとえ心ならずも①案を支持せざるを得ないことになったとしても恥じることはない、ということだ。ここまでに私が記した論理により、新たな『○月革命』が起こったことにしてしまえば良いのだから。もちろん情勢が変わり、②案が実行可能な状況がもし訪れるのであれば、それに越したことはないのだが……。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント