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「勝ち組」が嵌る欲望地獄

 ちょっと想像していただきたい。

 昨日まで年収300万円のカツカツの貧乏生活をしていたA君が、ある日突然、年収3,000万円の高額所得者に大出世したと仮定しよう。

 そのちょうど同じ時期に、それまで年収3,000万円の裕福な暮らしをしていたB君が、これまた突然、年収3億円の超高額所得者に大出世したと仮定する。

 さてこのA君とB君の二人だが。

 この急激な収入増による幸福感(もっと露骨に言えば快楽感)の増大度は、A君とB君、果たしてどちらが大きいだろうか?

 A君は2,700万円、B君は2億7千万円の増収なのだから、B君のほうが10倍幸福感も増大しているのだろうか? それともA君B君ともに収入が10倍になったわけだから、二人の幸福増大感は同じなのだろうか? 

 答えは……まあ常識で考えてみればすぐに分かることだろう。元々金持ちだったのが、さらにその度合いが増しただけのB君より、厳しい貧乏生活から抜け出せたA君のほうが、はるかに幸福感の増大度は大きいに決まっている。そしてこれこそが、ラビ=バトラ経済学が格差社会に「NO!」と言う、最も根本的な理由の一つなのである。

 新自由主義者らは言う。

 「人類の進歩は、いつも一握りの天才たちによって為されてきた。そして現在でも多くの企業では、本当に役に立っているのはごく一部の有能な社員だけなのだから、彼らにより多くの報酬が与えられるのは当たり前だし、それが真に公平というものだ」と。

 だが先の例でも分かるように、本当に新自由主義者らの主張どおりに各人の「働きが生み出した価値の量」に応じた適正な報酬配分が行われたとしても、例えば2倍の働きをした者が2倍の報酬を得たからといって、2倍の幸福感を得られるかといえば決してそんなことはないのである。もし報酬の金額だけで2倍の幸福感を得ようとすれば、それこそ5倍10倍と、幾何級数的に報酬を増やしていかねばならない。しかもそこまでやったとしても、本当に2倍の幸福感を得られるかどうか保証はないのだ。

 つまり金銭のような物質によって得られる幸福感(快楽感)には、限界があるのである。

 どんなに豪華な食事だって、満腹時に振舞われたのではちっとも美味しくないことぐらい、誰だって分かるだろう。それを忘れてしまったがゆえに「おかしい、俺は以前より10倍も稼ぐようになったから幸福感も10倍になるはずなのに全然そうなってないぞ。幸福感を高める為に、もっともっと稼がなければ!」となって際限ない欲望の泥沼地獄に落ちていくのが今の金持ち達の現状である。

 新自由主義者らの錯誤の一つはまさにそこにあり、これに対して「もっと良い幸福感の得方があるよ」と教えるのがラビ=バトラ経済学なのである。次回はいよいよその基本理論である『プラウト』の解説に入ってゆきたい。(続く)
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