憲法二五条を守らせるためにこそ憲法九条を破壊せよ!
例えば先の図式の『対偶』を取り「憲法九条を守らせれば憲法二五条も守られる」事態として、ある日突然現政権が憲法九条を厳守するようになり、自衛隊も解散し、米軍基地も全て撤退したと想定してみる。
そんな事になれば一体どんな事態が引き起こされるのか。社共らサヨク勢力は勿論大喜びだろうが、だからといってこれでいきなり格差社会が解消されたりするか?
考えるまでもない。軍隊が有ろうが無かろうが、企業が貪欲に利益を吸い取ろうとする姿勢に変わりはないし、むしろ軍隊があれば吸収できるはずだった若年失業者層の行き場が無くなって、格差が解消されるどころか、社会はますます不穏化するだけである(してみると先の「憲法二五条を破壊することによって憲法九条が破壊しやすくなる」というサヨクの図式も、実は成立しないことになる)。
逆に新自由主義者の思惑どおり、格差がどんどん進行し、それにより行き場の無くなった貧困層の若者たちが(アメリカのように)どっと軍隊に入ってくるとする。
なるほど。確かに軍隊が巨大化すれば、それだけ戦争が起こる危険性も高まるように一見思える。だが支配者層そしてサヨク勢力のどちらも何故か全然気づこうとしないことだが、軍隊入りした若者たちが、しかし自分たちをそのような境遇に追い込んだ支配者層の命令に従わなければならない義理など実は全然ないのである(戦前なら「上官の命令は天皇の命令」という軍人勅諭の論理を通せたかもしれないが、現代の若者にそんな天皇幻想はない)。しかも都合の良いことに、現代日本の支配者層どもときたら、国民に対しては散々戦争を煽っておきながら、自分たちは安全地帯に閉じ篭もってロクに軍事訓練など受けようともしない卑怯者ばかりなのである。
「外国と戦争するより、自国の支配者層と戦争したほうが楽に勝てそうだ」軍隊で鍛えられた貧困層の若者たちがそう思ったとしても、決して不思議ではない状況がここにある。ということはむしろ「憲法九条を破壊すれば、(新自由主義の支配者層を打倒することにより)憲法二五条を守らせやすくなる」とすらいえないだろうか。そしてそこから導き出される『対偶』は「憲法二五条を守らせるためには憲法九条を破壊しなければならない」という、先のサヨク図式とは全く異なる論理なのである。
『プレカリアート』にせよ、あるいは『オールニートニッポン』(祥伝社)にせよ、最近の雨宮処凛の著書ではフリーターなど非正規労働者たちの悲惨な就労状況に耐え切れなくなった者たちによる「フリーター労組」などの反撃の動きも紹介されている。また「グッドウィル労組」など、こうした動きの一部では確かに成果も挙がっているようである。
だが悲しいかな、彼らにはこうした運動に最も必要な集団行動能力が欠けている。ましてや暴動への転化可能性のないこうした運動だけでは、いずれ敵が労働法そのものを改悪してきたときには打つ手がなくなってしまうだろう。
プレカリアートには金がない。知恵もない。力もない。だが軍隊に入れば、少なくとも武力を手に入れることはできる。そしてそれは(安全地帯に閉じ篭もってばかりいる)敵支配者層にとっては、実は最大のウィークポイントでもあるのである。
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