「平和」と「民主」は両立しない!
アメリカが、中々銃社会を克服できない本当の原因も実はここにある。「西部開拓時代の伝統」だの「銃器産業のロビー活動」だのは事の本質ではない。真の理由は「国民一人一人が、その気になればいつでも武装蜂起に立ち上がれる準備を整えていること。それこそが『国民主権=国民が統治権力に命令する立憲体制=民主主義』を支える根本土台である」という現実を誰もがしっかり認識しているからなのだ。
(ついでに言っておくと、「銃社会」は何もアメリカの専売特許ではない。カナダをはじめ一般国民の銃所持が認められている先進国など他にいくらでもある。そしてこれらの国々なかでも特にカナダでは、国民一人あたりの銃所持率はアメリカより高いにも拘らず、国民一人あたりの銃犯罪発生率では逆に、アメリカの三分の一にも満たないという統計結果があるのだ。アメリカで銃犯罪が多発する最重要原因は、銃社会そのものとは明らかに別のところにあるのではないのか)。
何度でも繰り返す。
近代の国家権力とは(それがいかに民主的な手続きに則って生み出されたものであれ)リバイアサン(=最強無敵の怪物)である。怪物とは何か。それはいかなる理性も良心も持ち合わせない、本能だけのケダモノだということである。そんな相手をこちら側の命令(=憲法)に従わせるためにはどうすれば良いのか。「言葉による説得」が通用しないのは言うまでもない。ケダモノを飼いならし、こちらの言うことを聞かせる唯一の方法。それは「力による調教」以外絶対ないのである。
その力を国民から奪う現行憲法九条は、だから国民主権や民主主義とは、全く相容れない条文なのだ!