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クリスマスと新嘗祭 ―「クリススマス撲滅」は可能か?―(2)

クリスマス」の正体

クリスマスイルミネーション2

 そもそも、イエス・キリストの誕生日が12月25日であるなどという話自体、実は根拠の無い俗説にすぎないことをご存知の方もいよう。 

 最近の研究によると、イエスの本当の誕生日は西暦6年、それも季節は秋の、農作物の収穫直後の時期ぐらいだとするのが、最も有力な説となっているそうである。 

 そのせいかどうか、欧米の厳格なピューリタンやキリスト教原理主義者のなかには、クリスマスを祝うどころか、なんとクリスマスなどキリスト教とはなんの関係もない! 罪と冒涜、そして異教徒の愚かさが際立つ日にすぎない!」と、真っ向から否定するような声も少なくないらしい(理由はもちろん、例の「そんなこと聖書のどこにも書いてない!」である)。

 「クリスマス=キリスト教の行事」という日本の一般常識さえ覆されてしまうような話ではないか!

 では一体なぜ、イエス・キリストの誕生日は12月25日だということにされてしまったのか。

 記録によると、ローマ・カトリック教会が12月25日をクリスマスにすると正式決定したのは西暦354年、時のローマ教皇リベリウス一世のときであるが、実際にはそれ以前からこの日をキリストの誕生日として祝う風潮はあったらしく、すでにローマ皇帝コンスタンティヌスの時代には、この日に祭典が行われていたという記録もある。

 しかし一方では3月説・5月説・9月説などもこの頃にはまことしやかに囁かれており、あえて「キリストの誕生日は12月25日!」と強引に「決定」できるような合理的な根拠など、この時代のカトリック教会が持っていたようにはとても見えない。

 では何故、当時のローマカトリック教会は(大した根拠も無いのに)12月25日をイエスの誕生日と「決めつけた」のか。

 実をいうと、その理由は、極めて戦略的かつ謀略的なものであったらしい。

 この時代、ヨーロッパにはまだキリスト教は十分定着したとは言えず、庶民の間では、古代ローマ以来の農耕神であるサトゥルヌス信仰やゲルマン人・ケルト人による古代北欧神話(大神オーディンで有名)の神々への信仰、ペルシャ伝来の光明神ミトラ信仰、エジプト伝来の農耕神イシス信仰など、雑多な土着信仰が根強く生き続けていた。

 しかも不思議とこれらの神々は、みな太陽神か農耕神、もしくはその混交神であり、そのせいかこれらの信仰は皆、1年で最も太陽の力が弱くなる時期=冬至前後に、1年で最大の祭りを行い、再生と豊穣の祈りを捧げるのが、まるで共通項のようになっていたのだ。

 「だからその時期に、自分たちにとって一番大切な祭日をぶつけてやれ! それが異教の重要な祭りを排除する、最も有効な方法だ!!」

 そうはっきりと主張したのは、当時のローマ教会分派の対立法皇ヒッポリトスである。そしてどうやら、主流派のローマ教会も、その考えを取り入れたというのが、クリスマスが12月25日に決定した、事の真相らしいのだ。 全く聖夜もなにも、あったものではない。

(この記事続く)


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このエントリーのタグ: クリスマス 新嘗祭 冬至

クリスマスと新嘗祭 ―「クリススマス撲滅」は可能か?―(1)

クリスマスは商業主義か?

クリスマスイルミネーション1

 今年もまた、不愉快な(はずの)季節がやってきた。

 「飽きもせず繰り返し繰り返し流される耳障りなジングルベルの音! 吐き気を催すようなチカチカするイルミネーションの洪水! そして街を行く奴らの、どいつもこいつもイチャイチャデレデレと呆けきった顔、顔、顔! ああなんて日本は情けない国なのだろう! キリスト教徒でもないくせに、こんな他所様の宗教行事にみんなで浮かれ果てているとは! それもせめて聖者の降誕を厳粛に祝っているのならまだしも、実際に奴らのやってることときたら、宗教性の欠片もないただのドンチャン騒ぎじゃないか! 結局こいつらみんな、デパートやその他の大企業の仕掛けたクリスマス商宣の戦略にのせられているだけだ! 全く恥ずかしい! こんな様を他国の人間に見られてみろ! 日本人の宗教的淫乱さが、ますます諸外国に知れ渡ってしまうじゃないか!」

 こうお嘆きの国士様wも、読者のなかには大勢おられることと思う。

 確かに、理屈から言えば日本のクリスマスなどは所詮、戦後の軽佻浮薄な風潮にのって輸入された下品な商業イベントにすぎず、日本人の宗教的ルーズさを余すところなくさらけ出した、恥ずべき現象であるとすら言い切れよう。

 ところが、である。

 かく言う私自身、街中がクリスマス風の装飾に彩られ、華やかなクリスマスツリーがあちこちに飾られるこの時期が近づいてくると、そんな理屈とは裏腹に、どこかワクワク、ソワソワした気分が体の奥底から溢れ出てくるのを抑えることができないのだ。

 この理屈と感情との乖離は、子供の頃から自覚的・確信的な神道信者であった私にとっては結構深刻な問題であり、昔(小学5・6年生頃)からかなり長い間、悩み続けていた記憶がある。

 大体「クリスマス=商業主義」と決め付けるのなら、同じように企業が国民の間に定着させようとやっきになっているイースターやハロウィンがさっぱり盛り上がらない(註:この記事が初出された平成15年=キリスト歴2003年頃のこと。ハロウィンについては、最近どうも状況が変わってきているらしいのは皆様ご存知の通り)のはどういうわけか。ある企業の調査によると、日本でなんらかのクリスマスイベントを行った家庭は全体の実に8割にも及び、第2位のバレンタインと比べてすら、2倍以上の圧倒的大差がついているという(ちなみにイースターとハロウィンはともに1%程度〈註:平成15年=キリスト歴2003年当時〉。奇しくもキリスト教徒の数とほとんど同じである)。 この、他宗教の信者も含めた日本人全てからことごとく理性を奪い去るようなクリスマス特有の雰囲気は一体どこからでてくるのだろう。単なる商業主義では、とても説明がつきそうにない。

 (この記事続く)


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またも奪われた「東洋文化」

(皆様へ)

 この記事は平成17年(キリスト歴2005年頃)、某政治紙上に掲載したものです。

 何分古い情報であり、現在とは状況が全く異なっている部分も多々あるかとは思いますが、最近ますます猖獗を極めつつあるポリティカルコレクトネス(PC、ポリコレ)の状況を鑑みるに、十分意義のある一文であると判断し、ここに再掲いたしました。

 皆様には以上の点を御考慮のうえ、以下の記事をお読みいただきたく存じます。

 (↓ここから本文)
 今年(平成17年・キリスト歴2005年当時)の1月9日、香川県の少林寺拳法グループ連携協議会は、これまで少林寺拳法のシンボルマークとして使用してきた「」紋章を廃止して新しいマークを採用すると発表した。

少林寺拳法2

 その理由は言うまでもない。このマークがナチスドイツの「鍵十字」を連想させ、人々に不快感を与えるから、というものだ。

 元々この少林寺拳法という武道団体自体、総本部での合宿中にいわゆる「南京大虐殺」のビデオを研修生に見せて感想文を書かせるような問題のある団体であり、そんなところが何をほざいたところで、我々が関知すべきことでは本来はないのかも知れない。

 だがこと「」マークという、単に一武道団体シンボルマークに留まるわけもない重要イコンを勝手に「ナチスの鍵十字を連想させ……」などと解説されたのでは、黙っているわけにはいかない。

 今さら説明するまでもないことだが、この「」というマークに込められた霊妙なる力、中でも特に、これを身につけた人や物に幸運を呼び寄せるという我々の信仰は、たかが50年や100年の短い歴史によるものでは決してない。

  日本はもちろん、古くは古代中国やインド、そして意外なところではネイティブアメリカン(アメリカインディアン)の世界に至るまで、このマークは何千年も前から、幸運を呼び寄せるラッキーシンボルとして長く愛され、使用され続けてきたという歴史がある。 後からノコノコやってきてこのマークを無断借用したのはナチスドイツのほうであり、決して我々東洋人ではないのだ(なお、余談だがナチスの「鍵十字」は、正規の「」とは向きが反対の「逆」であり、そこに込められた意味も当然正反対になる。ナチスが自分たちのことを「悪」だと自認していたとも思えないが、それにしても皮肉な一致である)。

  聞くところによると、今回の発表を待つまでもなく、以前から欧米では少林寺拳法の道場や仏教・道教などの寺院では、外に「」のマークを出すことはできなかったらしい。時には、部屋の掛け軸に「卍」マークのものを使っただけでも抗議がくることがあったそうだ。

  また任天堂でも、以前国内向けのポケモンカードに「卍」マークを使ったものが海外に流れ、ユダヤ人の団体から猛抗議を受けて以来、このマークの使用を(日本国内でも!)自粛せざるをえなくなったそうだ。「卍」マーク本来の意味を説明しようとしても、ほとんどのヨーロッパ人は聞く耳を持たず、勝手にナチスとの関連をあれこれ憶測し、勝手に怒り狂うだけなのだという。

 全く冗談じゃない!

 勝手に他人のマークを横取りし、勝手にそのマークの意味を汚したのはお前らヨーロッパ人自身じゃないか!

 それでいて今度は「『卍』マークを見ると不愉快になるから使うのを止めろ」だと!?

 自分勝手もいい加減にしろ!

 てめえら一体、他人様の伝統文化をなんだと思ってやがんだこのクソ白人どもが! 

 考えてみれば、以前にもこんなことがあった。

 てめえらの宗教の教典とやらに、「『鯨の肉を食べてもよい』とはどこにも書いてない」からといって、日本の鯨肉食文化を一方的に叩き潰しにきやがったことが。

 それ以前は自分たちもランプ用の油を取るために、散々捕鯨してやがったくせに!

  こうした白人どもの横暴は、まだまだ当分収まりそうもない。「人権大国EU」といったって、その実態は所詮こんなものなのだ。 

(文責:アニヲタ君)



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亜米利加ヨ、汝ノ日ハ数ヘラレタリ(後編)

(皆様へ)
 この記事は、平成15年(キリスト歴2003年)頃に、某政治紙に掲載されたものです。

 何分にも古い文章であり、現在とは状況が全く異なってしまっている点も多々ございますが、安全保障に関する我々の基本的な考え方をお知らせする上で非常に有用な記事であると判断し、ここに再録いたしました。

 皆様には以上の点を御考慮のうえ、以下の記事をお読みいただきたく存じます。

 (↓ここから本文)
 (前回からの続き)ひるがえって現代を見てみるとどうか。

  現代の世界情勢が、江戸時代の日本の幕藩体制と酷似していることは、すでに何人もの論者が指摘しているところである(私も以前、別のところでそう書いたことがある)。

 つまり、唯一の世界覇権国であるアメリカが徳川家で、その他の各国が諸藩というわけだ。 

 では、今現在は江戸時代の、大体どの時期にあたるのだろうか。

 前期ならば、アメリカから天命が去ることは、まだ当分の間はない、ということになる。アメリカは、これからますます巨大化していよいよ誰にも手がつけられなくなるだろう。しかし後期ならば、アメリカから天命が去る時、すなわち瓦解の時はもう近い、ということになる。

  ちなみに渡部昇一氏は、小林よしのりとの共著『愛国対論』(PHP研究所)で「九・一一は『島原の乱』なのか『桜田門外の変』なのか。私は『島原の乱』だと思う」と、いくつかの証拠とともにそう主張していた。つまりアメリカの覇権はこれからますます強大になる。そんな状態でアメリカに逆らっても、ただのドン・キホーテにしかなれない、というわけだ。

渡部昇一

  だが私はそれに異を唱えたい。なぜなら、少なくとも「キリスト教国による日本植民地支配の野望を挫く」という、現代から見ても納得できる大義名分のあった『島原の乱』にくらべ、今回のアメリカの暴挙には、いかなる名分も正義も感じられないからである。

   私はむしろ、アフガニスタン以来の一連のアメリカの行動には、『安政の大獄』と同じ種類の匂いを感じてしまってしょうがないのだ。

 ITバブル崩壊以後の経済的苦境に苦しみ、傾いてきた自らの権威を挽回するため(あるいは戦争景気による景気回復でも目論んでいるのか?)、半ばやけっぱち気味に自らに敵対するものに片っ端から戦争を仕掛けて回るような、そんなアメリカのやり方は、やはり同じような財政難に苦しんでいた『安政の大獄』期の江戸幕府の様とあまりにも酷似しているではないか。少なくともそこには、まだまだ台所に十分余裕のあった『島原の乱』の頃の江戸幕府とは全く似ても似つかない、と言わざるを得ない。

  もちろん、「アメリカ没落の日は近い」からといって、それに安心してのんびりしているわけにはいかない。 なぜなら現在の日本政府は、はじめからこうしたアメリカの暴挙を全面的に支持してしまっており、ドイツやフランス程度の最低限の意地すら見せることもない、最低最悪の「アメリカのポニーちゃん」に成り下がってしまっているからだ。

  これでは、たとえアメリカ没落の日が本当に来たとしても、「属国からの独立を果たす」どころではないだろう。奴ら自民党親米政府およびその取り巻きのポチ保守どもが政権の中枢にいる限り「日本もアメリカの同類だ、アメリカの一の子分だ」と世界からみなされ、アメリカと一緒に没落の坂を転げ落ちてしまうしかなくなるのだ。

 勝ち馬に乗ったつもりになってアメリカと一緒に歓声を上げている産経や読売や西尾幹二やその他の馬鹿ポチどもは、そんなことにも気付けないのだろうか。

 世界の世論=民の声=神の声は、今やはっきりとアメリカを見放しつつあるというのに。

 そういった意味では、先の「イラク侵略反対アピール」に、小林よしのり西部邁木村三浩前田日明らの各氏が名を連ねたことは、日本にとっては本当に救いであった。

 もし「反戦アピール」の中に彼らの名がなく、小田実や知花のような反日分子の名前だけしかなかったとしたら、アメリカと一緒に日本の天命までどこかに去ってしまう、本当に全く救いのない状態になってしまっていただろう。

  彼らのお陰で、日本はかろうじて救われた。近い将来、アメリカが世界唯一の覇権国の座から転落したとき、「独立日本」の天命は彼らの頭上に輝くことになるだろう。

 ポチ保守はアメリカとともに去れ。

 我々「対米自立派」こそが、次代の「独立日本」を担う、真の天命の授権者なのだ! 

(文責:プヲタ君)


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亜米利加ヨ、汝ノ日ハ数ヘラレタリ(前編)

(皆様へ)
 この記事は平成平成15年(キリスト歴2003年)に某政治紙上に掲載されたイラク戦争終結に関する記事です。

 何分にも古い記事であり、現在とは全く状況が異なってしまっている部分も多々ありますが、安全保障に関する我々の考えをお知らせする上で有用であると考え、ここにあえて再録いたしました。

 皆様にはその点を御考慮のうえで以下を読み進めていただきますよう、よろしくお願いいたします。

 (ここから本文)
 
 先のイラク戦争におけるアメリカ軍の全面的大勝利は、我々真に日本の将来を憂える愛国者陣営にとっても、たいへん歓迎すべき事態であった。

イラク戦争勝利

  むろんそれは、なんの定見も持たない愚かな日本政府やその取り巻きのポチホシュ文化人どものように、自分もアメリカ人になった気になって「イラク戦争勝利バンザーイ!」などと叫ぶという意味では全くない。

  我々が喜ぶべきなのは、このようななんの大義名分も立たない暴挙をアメリカがついにしでかしてしまったことによって、かの国が、いよいよ引き返しのきかない、底なしの没落地獄へと陥ったこと、そしてそれは同時に、わが国にとっては、これまで長らく甘んじ続けていたアメリカの属国という屈辱的な地位から、いよいよ解放されるチャンスが近づいてきた、ということに対してである。

  古くから中国には、「天命」という思想がある。

  本来、この地上世界は中国思想にとっての「唯一絶対神」とでも言うべき「天」が支配すべきものである。だが現実には「天」は自ら動くこともできず、ものを言うこともできない。そこで「天」は地上にいる人間の中で最も徳の高き者を選んで命令を与え(「天」の命令、すなわち「天命」)彼を「天子」として地上に君臨させ、自らの代理として地上を統治させた、というのが、中国歴代皇帝がみずからの支配を正当化するための論理だった。

  だがそれは同時に、革命の論理にもなりうる。

  「徳が最も高い人物だからこそ天命を授けられた」というのであれば、もしその人物が皇帝の地位に驕って自分を見失い、自らの徳を失ってしまえば、やがて天命も彼のもとを去ってしまうではないか。

 そうなれば彼はもはや「天子」ではなく、皇帝という、彼にとって不当になったその地位から引き摺り下ろし、別の徳高い人物を新たに「天子」とせねばならない、という論理である(これを「命が革まる」すなわち「革命」という)。

 中国の、変転常なき王朝交代は、全てこの論理のもとに行われてきたのだ。  無論これは、中国という一地域のローカル思想であって世界普遍のもではないかもしれない。しかし世界史を見れば、中国以外の地域にも、これとよく似たパターンがあまりにも多く見受けられるのは偶然であろうか。

  ロマノフ朝ロシアのツァーが完全に権威を失ったのは、彼を神とあがめるロシアの人民に銃を向けた「血の日曜日事件」が原因だし、あのフランス革命にしたって、最初は王制そのものまで廃止するつもりはなかった革命勢力を本気で怒らせたのは、マリー・アントワネットが実家のオースリア王家にフランス軍の情報を逐一スパイし、ついには自ら亡命まで図ろうとした、その売国行為に対してであった。
  
 そしてわが日本でも。

 江戸幕府が崩壊した原因は何か。

 貨幣経済の浸透がどうのこうのと、長期的には色々な理由が考えられるだろう。

 しかしこの「天命説」に基づいた最も直接的な原因を一つあげろと言われれば、それは「安政の大獄」に止めを刺す。具体的には、吉田松陰という真の愛国者を、「反逆者」という汚名のもとに幕府が殺したことである。このことが松下村塾の熟生たちの心に撤回不可能な決意を植え付け、数年後の幕府崩壊を決定的なものにしたのだ。

(この記事続く)


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「側室」は下々から復活する!? ―皇位継承問題に関する一考察―

(皆様へ)この記事は平成16年(キリスト暦2004年)頃に某政治紙上に掲載したものです。 何分にも古い情報であり、現在の状況に合わなくなってしまっている部分も多々ありますが、皇室に対する我々の考え方をお知らせする上でも大変に貴重な情報ではないかと考え、ここに再録いたしました。 皆様にはその点を重々ご承知おきのうえで以下の文章を読み進めていただきたく、よろしくお願いいたします。

 (↓ここから本文)
 近頃よく話題にされる皇室の世継ぎ問題については、一水会代表の木村三浩氏が、もう6年以上も前に今日あることを予期して「側室制度復活論」をぶち上げていたことは、何ヶ月か前の本紙でも紹介した通りである。

 ところで最近、この木村氏の主張について、面白い人物が意見を述べているのを発見した。 ご存知、社会学者の宮台真司が、バリバリのベテラン護憲派憲法学者である奥平康弘と共著で2年ほど前(註:キリスト歴2002年のこと)に出版した『憲法対論 (平凡社新書 164)なる書のなかの一節である。

奥平康弘

 この中で奥平は、木村氏の側室制度復活論について、なんと「まことに古典的な伝統に即した正当性のある議論であるとさえ言える余地がある」と評価しているのである!(まあ賛成は絶対しないだろうけどw)

 それに対し宮台は、当然のように「そんなことをしたら国辱問題となり、子々孫々の繁栄を目指す『愛国』の本義に――従って陛下ご自身の意志に――悖る」と批判しているのだがちょっと待て。

 宮台センセイ。

 あなたは確か、いくつかの御著書で、「いまやテレビ局に勤める二十代の女性の半分は不倫している」云々といった報告をなされていませんでしたか? しかもその女性たちは、一昔前の不倫女性のように略奪婚を狙うこともなく、逆に男のほうが本気になり「妻と別れてお前と結婚する」などと言い出そうものなら、途端に気持ちが醒めてしまう――すなわち、本当は「正妻」よりも「愛人のなかのNo.1」のほうが、女にとってオイシイ立場であることに気付いてしまっている――とも。

 つまり日本では、今や厳格な一夫一妻制に基づく結婚制度などほとんど崩壊してしまい、モテる男の極端な一極集中化現象が加速していることを、ご自身で報告なされているじゃありませんか! 

 一方、『ニューズウィーク』誌の今年(註:キリスト歴2004年)の6月16日号では「おかしいぞ! 日本の結婚」と題し、事実婚や夫婦別姓はもとより、同性結婚まで認めるようになった欧米の婚姻制度にたいし、日本の婚姻制度が未だに古い、画一的な制度を保持したままなのを批判しているが、この記事もよくよく見ると、おかしなところがある。

 「個人の趣味嗜好に合った、自由で多様な婚姻制度」がそんなに良いのなら、選択肢の一つとして当然「重複婚」というものが出てきても良いはずなのに、それに関する記述が一切ないのはどういうことか?

 そこまでラディカルな結婚観を持つようになった欧米人なら、「複数の妻」や「複数の夫」を持つことも(当事者たちの合意が前提ではあるが)「個人の自由」と考えるであろうはずなのに、なぜかそういう発想が、彼らの中から全く出てくる様子がないのは不思議としか言いようがない。

 今や恋愛は、自由競争の時代である。 そしてモテる者とモテない者の格差はますます拡大し、いまや民間では、結婚制度の維持すら困難なものとなりつつある。

 もしも近い将来、下々の世界において、一夫一妻制が完全に崩壊してしまったとしたら?―― その後におよんで、皇室だけがそれを維持しようとするのは、かえって不自然なことではないのか?

 木村氏の側室制度復活論は、だから必ずしも奇矯な意見とも、反動的な意見とも言い切れないのでる。 

 問題があるとすれば、たとえ制度としての「側室」が復活したとしても、今の天皇陛下も皇太子殿下も、決して自ら進んで側室を持とうなどとは成されないだろうことくらいだろうか。

(文責:アニヲタ君)


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あまりに手ぬるい東京都教委「国旗・国歌指導」

(皆様へ)この記事は平成17年(キリスト歴2005年)頃に某政治紙に掲載した文章です。


 何分にも古い情報ではありますが、我々の教育問題に対する考え方を御理解していただきやすい文章と考え、ここに再録いたしました。


 皆様にはその点を予めご承知おきの上、以下を読み進めていただきますよう、よろしくお願いいたします。


 (↓ここから本文)

 「そんなバカな! スリーストライク・アウトだろう!? なんで懲戒免職にしなかったんだ!」


 その記事を最初に目にした時、私は思わずそう叫ばずにはいられなかった。


 今年(註:平成17年=キリスト歴2005年当時)の都立高校の卒業式において、都教委国旗国歌指導に従わなかったために、またもや50人近くの教師が処分されたという例の件についてである。


反日教師2


 その中には、今回で不起立3度目となる教師が4人含まれていたという。前回2度目の不起立時にこの4人は減給処分を受けていたのだから、筋から言えば、今度こそ必ず懲戒免職処分とならざるを得なかったはずである。


 それがあろうことか。


 今回もまた、この4人に対しては、前回と同じ減給処分しか出さなかったというのだ。都教委のこの腰砕けぶりは一体どうしたことであろう。


 今さら馬鹿サヨクどもに指摘されるまでもなく、一昨年(註:キリスト歴2003年)10・23通達以来の、都教委による一連の国旗国歌指導には、直接的には、なんら教育的意義など見出せないのは分かりきったことである。


 大体「○○のことを愛するように」「△△を崇拝せよ!」などと上から頭ごなしに命令されても、それで素直に愛したり崇拝したり出来るようになるはずがないのは、人間心理の常識から考えても当たり前のことだろう。いやそれどころか、今の都教委のやり方では、逆にかえって生徒達の間で、国旗国歌に対する反感が広がってしまいかねない恐れすらあるのだ。


 そのようなリスクを冒しながら、それでもあえてこうした指導を強行することにもし積極的な意義を見出せるとするならばそれは一体何か。


 考えられるのはただ一つ。


 この件をネタに、東京の公立学校の現場から一切の反日教師を追放し、現場レベルでの反日教育の息の根を止めること、それしかあるまい。ターゲットは生徒ではなく、あくまでも教師でなければならないのだ。


 そうした視点から今回の一連の都教委国旗国歌指導を見渡して見た場合、世間の評判とは逆に、私にはむしろ都教委のやり方は、あまりにも中途半端な、生ぬるいものに思えてならない。


 だいたい、卒業式や入学式の場で一時的に心ならずも起立してしまったからといって、反日教師どもが日々の授業での自虐教育を止めるはずがないだろう。まして不起立を貫くような確信犯ならなおさらだ。


 本気で現場レベルでの反日教育を止めさせたいのなら方法は一つしかない。危険な反日教師どもを一刻も早く学校現場から一掃すること、そして二度と生徒たちには近づけないよう隔離することであり、そのためには「スリーストライク・アウト」ですら実はまだ甘い。都教委規則を改正し、一度でも国旗国歌指導に逆らった教師は即、懲戒免職とするくらいの強行手段を取らなければ、目に見えるような成果はとても挙げられはしないだろう。



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旧記事、続々リニューアル中!


 皆様、そちらにもどしどしご訪問いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 なおアフィリエイト広告につきまして、我々とはむしろ対立する立場の者の書籍まで載せていることに対し、疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 ですが我々としては、自身と主義主張を同じくする者の声ばかり聴き、社会の全体像が見えなくなる「エコーチェンバー」現象に、知らず知らずの内にはまってしまう事こそもっとも警戒すべきものと考えております。

 ゆえに、あえて敵の言い分にも耳を傾ける事こそ重要と考え、本文に関連する図書は、例え敵対する立場の者であっても紹介すべきであると考え、そうした書籍も掲載することといたしておりますのでご了承下さい。

(文責:管理人)

 

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本ブログが「にほんブログ村」保守ランキングで早くも第18位に到達いたしました!

 
 
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 皆様の熱い御支援に心から感謝いたします。

 なお貫通信では、現在旧記事のリニューアルを順次行っているところです。
 
 現在、リニューアルは最初のページ「はじめまして」から第18ページ「某読者氏からの批判に答える」まで終了しております。

 上記と同じ日本3大ランキングへのクリック欄は勿論のこと、写真や説明図、さらには関連
書籍類のアフィリエイト(笑)欄まで完備いたしておりますので、そちらにも皆様、どしどしご訪問いただきますよう、よろしくお願いいたします。

※ なお、写真の選択には著作権や肖像権の問題に引っかからぬよう万全を期してはおりますが、何分人間のやることゆえ、「万が一」が無いとも限りません。
 もしも「明らかに」問題のある写真を発見されたときには直ちにお知らせください。
 確認次第、差し替えをいたします。

 (文責:管理人)

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あまりに情けない自衛隊の泣き事! ―「魂の抜けた巨大な武器庫」にもはや誇りはないのか?―

(皆様へ)

 この記事は、平成16年(キリスト歴2004年)頃に、某政治紙に掲載されたものです。

 何分にも古い文章であり、現在とは状況が全く異なってしまっている点も多々ございますが、安全保障に関する我々の基本的な考え方をお知らせする上で非常に有用な記事であると判断し、ここに再録いたしました。

 皆様には以上の点を御考慮のうえ、以下の記事をお読みいただきたく存じます。

 (↓ここから本文)
 
 「自衛隊幕僚長、米軍基地の整理統合計画に不服」

  こんな内容の新聞記事を見たとき、私はあまりの情けなさに、本当に涙が出そうになった。

在日米軍2

  つまりこういうことである。 最近、ブッシュ政権が全世界的規模で進めている米軍基地の大規模な整理統合計画により、日本の(特に沖縄の)土地を広く占拠している基地が大幅に縮小される可能性が出てきたことに対し、「それでは日本の防備が手薄になる」「こちらになんの相談も無しに、勝手に出て行ってもらっては困る」と、日本の自衛隊のほうが逆にアメリカに泣きついたというのだ!

  一体どこの世界に、占領軍に「出て行かないでくれ!」と頼む被占領国の軍隊があるのか!

 これほどの国辱的行為を、なぜ誰も咎めようとせぬのか!

 大体、今回の整理統合計画だって、噂だけならすでに去年の暮れくらいからあったのだ。

 去年のイラク戦争で、横田基地が空軍の補給基地としてすら全く使用されなかったことは、軍事問題に詳しい人たちの間では結構話題になっていたことである。

 またハイテク兵器の急激な発展が、戦術だけでなく戦略にも大きな変化をもたらしていることや、正規戦から対ゲリラ戦へと、戦争目的それ自体も大きな転換を余儀なくされていることなどから、「沖縄の海兵隊は中東へ、横須賀・佐世保の海軍はグアム島へ」といった、米軍の戦略的部隊配備に関する露骨な噂すら業界では半ば公然と語られていたのだ。

 「自分の国は自分で守る」そういう気概が少しでも残っている軍人であれば、これは当然「国内から米軍を排除し(少なくとも大幅に減らし)国内防衛に関する自衛隊の独立性を高める絶好の機会!」と見て、より積極的に状況を活用しただろうし、穿ったことを言えば「米軍が減るのだから、それにより手薄になった防備の穴を自衛隊で埋めなければならない!」と財務省にねじ込んで、国防予算のアップを勝ち取るくらいのしたたかさだって示そうと思えば示せたはずなのだ。

  現にドイツでは、かつては30万人もいたという在留米軍はいまや10万人に激減し、今後もさらに減少する予定だという。

 しかもそのせいでいまやドイツ国内には使われなくなった米軍基地が溢れかえっており、ドイツでは現在、これらの基地を返還後にどう活用すべきか、活発に調査研究がなされているというではないか。

 同じことが、なぜ日本では全くといっていいほどなされていないのだ!

 いまやブッシュは、記者会見で「米軍基地のある国が、喜んで協力するならばアメリカ軍は駐留を続ける。だがアメリカ軍にいて欲しくないというのであれば、いつでもよそへ移る」とはっきり宣言するところまできている。

 この後に及んでなおも沖縄米軍基地の返還がなされないのならば、その責任は米国にあるのではない!

 日本政府自身の怠慢と不覚悟にある!

 今後もなお日本政府と自衛隊がこのような生き恥をさらし続けるのなら、彼らにはもはやこの国の安全を委ねるに値しないとして、断固たるリコールを行わねばならなくなるだろう。 

(文責:プヲタ君)

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